Spinach Forest

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2025

今年は去年に続いて低調な年だった。表立って愚痴を書くような年齢でもないが、他に書くこともない。そもそも、精神が低調だと物事を考えられないのだよね。目先の日常生活に支障はないが、精神世界が構築できない。ボケるというのはこういうかんじなのかもしれない。

精神の低調さを補うため運動はよくやった。ウェイトトレーニングをはじめかけたがこれは定着せず、ランニングは前より距離を伸ばし走るようになった。これは脳内麻薬で低調さをマスクするだけでなく、ストレス過食による体重増加を緩和する助けにもなっている。

運動でやる気を出す足しにと Pixel Watch (4) を買ってみたら、なかなかよかった。純粋に fitness tracker として出来が良い。

運動や睡眠は足りているが免疫が弱っているらしく、COVID x1, Flu x1, 風邪 x3 くらいで病欠がちでもあった。精神の低調さに引きずられている面はあるが、できることはやっておこうと Vitamin D を摂取することにした。

家庭は、特筆することはないです。あっても書かないと思うけれども。

あとはなんだろうな。精神の低調さを増幅しがちなのでソーシャルメディア (bluesky) をやらなくなった。そのぶんブログでも書こうと思ったがロジスティクスに問題があり捗らなかった。

精神の低調さをマスクするため音声・ビデオの消化が増えた。Podcast 聞きすぎ問題とは常に戦っている。YouTube は、ビデオ部門で働いていた頃は見すぎる傾向があったが、最近は程々にできている。あと日本のポップスを聞くようになった。仕事中は英語、通勤中・運動中は日本語と聞き分けることで、仕事を生活の他の部分から isolate する助けになっている。

よいお年を。

Nov 25, 2025 04:11

DWARF support for macOS and Linux by joelreymont · Pull Request #14369 · ocaml/ocaml via HN

LLM / ユーザがたまたま十分にずる賢くないせいでコピペもとの copyright ヘッダが生成ファイルにコピーされ出典が明らかになったものの、もうちょっと悪意(?)のあるユーザだったらダマサれかねないところである。

AI coding には未来を感じるが、結局は盗作なのだよなあ。

Nov 13, 2025 21:11

子に漢字の復習をさせるプリントがほしい、ということで claude code にやらせてみるか・・・と例文を作らせるところからスタート。が、ダメだな。

たぶん一つ一つの漢字ごとに shot すればいけそうだが、三年生の漢字 200 個をまとめてやらせるとダメ。例題生成とか LLM ちょー得意そうだけど、やりたいのはプリントに使う HTML を作るところ。例題作らせるのが一番難しい(相対的に)なので、下手にここで頑張るより手元にある教科書なりの教材からコピペするほうが早そう。というわけで LLM あそびはあとにしてささっと do thing that don’t scale させていただきます。しかし眠いのでまた明日。

Nov 12, 2025 21:11

Android Developers Blog: Android developer verification: Early access starts now as we continue to build with your feedback

少し前に sideload を署名必須にする と発表し大反発を買っていた Android, 条件付きで sideload を許す方向に方向転換すると発表したらしい。その方向がなんなのかはこの記事からはよくわからないが、Apple の Scare Screen みたいなものになるのだろうか。

去年くらいから Android/AOSP はオープンソース愛好家である自分のやる気を削ぐような発表を続けてきた。

この2つは、残念ではあるがエンジニアリング的な決断として理解できる部分もあった。

非公開ブランチで新バージョンを開発すると同時に公開 AOSP にもコミットできるという事実はパッチのマージ戦略やリファクタリングを激しく複雑にしており Android のリリース頻度改善を邪魔していた。この two-way merge をやめるのは、オープンソースプロジェクトの AOSP にとっては害かもしれないが非公開ブランチの開発者にとっては改善と見ることもできた。じっさい、この変更にともない 非公開 Android のブランチ戦略は大幅に簡略化された。

Pixel の blob がなくなるのも、新しい開発中の SoC と発売済 SoC のドライバを、従来のようにコピペフォークで使い捨てるのをやめコードベースを共通化した結果、未発売 SoC の非公開情報をバイナリから隠すのが難しくなったのかもしれないなと想像できる。8 以降の Pixel は 7 年サポートする と決めた対価だと思えば、AOSP Mod 勢はともかくカネを払って電話を買ってくれたユーザ的には一定程度納得できるのではないか。

これは憶測であって、本当の理由は誰にも知るよしはない。それでも上記二点は落胆しつつギリギリ我慢できると個人的には感じていた。(自分は雇用バイアスがあるので、世の中の人が我慢できないと言っても不当とは思わない。)

そんな自分にとっても、アプリの署名必須化はスリーストライクアウトの gut feeling があった。やはり本当の動機は知りようがなく、強欲から政府の圧力まで陰謀論が渦巻いている。ただ自分にとってもはや動機はどうでもよく、そんな不自由でダサい環境には付き合えねーわと匙を投げたくなった。エンドユーザとしてではなく、プログラマとして。

エンドユーザとしては、電話機というのは不自由なデバイスだという事実を受け入れ使い続けることはできる。昔のガラケーはもっと不自由で、それでも使っていたのだから。

ただプログラマとしてスキルやコードを積み重ねたい気持ちは失せた。iOS プログラマじゃなくて Android プログラマやってるの、別に Objective-C が嫌いだったとか雇用の都合とかだけじゃないんですよ。いちおう微かにでもオープンソースに隣接していたいからなんだよ。cs.android.com が内心の支えななんだよ。これと署名必須化は、自分のなかでは共存できないですよ。

自分が職業 Android アプリプログラマである事実はもはや変えられない。だから仕事として Android 関係の開発をするのは、会社員としてカネを稼ぐために受け入れている。ただ余暇・課外活動で Android するのはナシにしようと、署名必須化のアナウンスを見て考えていた。プログラマとしての自分を大きく毀損するそんな判断を強いられるのは本当に悲しかったが、スリーストライクアウトは無視できなかった。

そんな致命的判断が見直される。嬉しいニュースである。ただ実際にどんな形で決着するのかは実装を見ないとわからないので、デザートの神様に祈りを捧げながら成り行きを見届けたい。

bazelbuild/rules_android

This CL attempts to fix the runtime error that happens when: · bazelbuild/rules_android@a9d529f

久しぶりに OSS 活動、と呼ぶと語弊があるが仕事で書いたコードが GitHub に sync されていったぜ…

こういうの、昔だったらがんばって GitHub 経由でコミットするところだけど、ガッツがありませんでした。ビルドの仕方すらわからない。一方 monorepo なら手元のファイルをいじるだけである。

下手にいじると社内の Android ビルドを全滅させたりできるのでコミットのバーが高く、無理そうだったら捨てて feature request してやろうとおもっていたが、いちおうちゃんと見てくれてコミットに至れた。よかったね。こういうランダムなコードを書きランダムなバグを直し暮らしていきたいものだが、最近は世知辛いのでそうもいかないのだった。

Shin Splits

最近まったくブログを書いていなかったことに気づいた。なにをしていたかというと、筋トレしたりランニングしたりしていた。夏に減量したのをきっかけに筋肉量の低下が気になりだして筋トレをはじめ、ジムでトレーナーに barbell の使い方を教わったりしたが「今の力だとまだ bench press は危ないですね」といわれ dumbbell を渡され、筋トレ盛り上がらねーな・・・とランニングの量を増やし、などと試行錯誤をしていると他の時間が完全に失われてしまった。運動、時間がかかる。

そして何も考えずに走る量を増やし、それまで一日三十分くらいだったランの時間を一時間くらいまで伸ばしたところ、スネの筋肉が痛みだしてしまった。Shin Splits というらしく、いきなり走る量を増やすと起こる典型的な症状なのだとか。というわけで一時停止中。やれやれ。

Foldable Phone

少し前から Foldable の電話機を使っている。去年同僚が使っているのを見て羨ましくなり、上司にゴネて会社支給の電話機を foldable にしてもらった。

前提として、自分はスマホのヘビーユーザーではない。どちらかというと意図的にスマホ利用を制限しているデバイス中毒警戒派である。という前置きをした上で以下感想。

  • 画面がでかい事実は活用している。世の中の foldable user は開いて使う時間は短いというけれど、自分はコンテンツを見るときはだいたい開いている。閉じて使うのは、チャットの返信とか音楽再生とか、短時間に操作するときだけ。
  • しかし大画面に対応していないアプリが多い。一方ウェブサイトは大画面だと PC 版相当が表示される場合が多く、便利。たとえば TechMeme とか PC 版の方が圧倒的に情報量が多い。
  • 開いて使う時間が長い帰結として、バッテリーの持ちが普通の電話より悪い。足りないことはないが、普通の電話の感覚だと 70% くらい残っていて欲しいタイミングで 60% くらいになっている。閉じて使うのがメインならまた違う印象になりそう。
  • 複数ウィンドウを使ったマルチタスクは、しない。なぜならユースケースは閉じた電話と変わっていないからである。というか世の中の tablet/ipad ユーザも大半はコンテンツ消化してるだけですよね。
  • コンテンツ消化デバイスという点でみると、画面は初代 pixel fold の横長の方が良かったのになと思う。縦長動画を見るには左右がの余白がムダで、横長動画を見るには上下がムダ。活字コンテンツは全画面使えて良い。
  • OS 全体の foldable への適応度は、まあまあ。時々ヘンなうごきをするが、それは自分が開発版 OS を使わされているせいかもしれないので、判断は保留。

値段は、電話機とタブレットを足したくらいなので、自腹で買うなら電話機 + タブレットかな。これは自分がめちゃライトユーザーである事実の反映だと思う。通勤も自転車で、外出時に大画面が欲しいことが少ない。いまは、昼休みの食後のダラダラインターネットをひやかす時間が主な活用場面になっている。

ただ画面がでかいのは、ムダではない。老眼年寄り固有の問題かもしれないけど、デカイ画面は圧倒的正義。トレードオフとしての重さはどうかというと、使用頻度が低い身には影響少なめ。なので foldable, tech enthusiast だけでなく年寄りに売るといいんじゃないかと思いました。

AI Sadness #5: Impression

エーアイはすごい。それは間違いない。なんか頼むとコード書いてくれる。それがちゃんと動く。計画をたてて順番に進めることすらできる。すごい。Agentic Coding でエーアイが色々なことを「できる」事実には未来感がある。

一方、それが他の手段と比べて優れているかというと、何と比べるか次第である。

あるときエーアイをコードの migration (インフラ移行) に使ったケーススタディーの論文が投稿された。これを読んだ大規模コードベースの専門家は、こう苦情をいった。曰く: 「彼らは大規模リファクタリング自動化のツールを持っているのにそれを使わず手動の変更をエーアイを比べている。おかしい」

同じパターンは身近にもよくある。AI でなんらかのデモが動いた。そんなことができるなんてエーアイすごい!が、まさか実用とかしないですよね?それ他の自動化ツール使っても同じことできるし安いし早いし止まらないですよね?釘を打つのも野暮なので黙っている。

たぶんどこかで何らかの良心が働くであろうと期待はしている。それでもこの手のデモ作成が推奨され筍のように生えてきたら、一割くらいはうっかり滑り出て実用化され悲劇を招きはしないか。エーアイの「できるすごさ」にともなう感激・感動が価値判断を麻痺させないか。そんな不安がある。

AI Sadness #6: Forced

仕事におけるエーアイのなかで一番悲しいのは「仕事にエーアイを使え」と言われることだと思う。

「製品にエーアイの機能を入れろ」なら、まだわかる。市場判断は自分の仕事ではないから。でも「仕事にエーアイを使え」はその自分の仕事のやり方を指図されている。嬉しくない。

大企業、仕事の仕方に縛りは色々ある。それは法制上の理由かもしれないし、様々なリスクからビジネスを守るためかもしれないし、局所的な利点でなく大局的な最適化を優先したためかもしれない。こういう縛りは嬉しいものではないが、理由はわかる。「エーアイを使え」には納得の行く理由を感じにくい。理不尽に自分の agency を制限されたように感じる。

「エーアイを使え」は空気であって、文書化された何かではない。行動規範に類する文書は「エーアイを理解しろ」のような言い回しが選ばれている。けれど空気はちがうことを言っているように自分には感じられて、それが息苦しく悲しい。

AI Sadness #4: Workslop

Workslop は、悪意のあるケースもあるが多くの場合は無邪気なもので、だからこそしんどい。

数ヶ月前「エーアイが書いてくれたんですよ!」と同僚が送ってきたコードにレビューコメントをしたら「エーアイが直してくれました」と切り替えされ、もうめんどくさいので全部 LGTM でいいわ・・・という気になった。同じ相手のまとまった量のコードをそのあとレビューした記憶がないので、彼がいまどうしているのかわからない。

あるとき部門の “AI Day” があり、同じ同僚が「仕事のワークフローをエーアイにやらせました!思ったことをバーっと書き出してエーアイにたのむだけでソフトウェア・エンジニアリングに構造ができます!」というプレゼンをしており、その braindump から生成された Design Doc には “Alternatives Considered” というセクションがあった。誰が consider したアイデアなのか・・・なんていう疑問が頭をかすめたが、深く考えないことにした。

心の健康を保ったまま Workslop を相手にする良い方法を見いだせていないので、今は暫定的に心を無にして LGTM することにしている。たぶんもうすぐレビューもエーアイがやってくれるようになると思う。人間を介在しないほうが平和でいい。

AI Sadness #1: Uneven Arrival or Incompetence

あるとき、agentic Coding にそれなりの、とはいえそこまで長くない仕事の時間を費やして、まだ使えないなという結論が出たとする。

そういう話をオンラインですると「使い方が良くない・良い使い方をわかってない・スキルがない」といった類の反応が帰ってきて、ひどく消耗する。

自分は、それなりに agentic coding のやり方に関する議論に目を通し、それを適用したつもりでいる。一方で、時間や道具の制限もあるしやる気もそこまでないので万全を尽くしたとは言えない。だからその反応の真偽はわからない。自分が無能なのかもしれないし、問題に対してモデルやツールの能力が足りていないのかもしれない。

この「モデルが無能かお前が無能か」の議論はオンラインで山ほど繰り返され、あまり生産的には見えない。その不毛さが自分に降りかかるとうんざりしてしまう。

「仕事のバグがとれねーくそったれー」という他人に「デバッガちゃんと使えてます?仮説検証ループ回してます?」とか言わないでしょ。「そうときありますよねー大変ですねー甘い物でもたべてがんばりましょー」とかいうでしょ。エーアイツールもはやくそのステージになってほしいなと思う。でないとオンラインで管巻きもできやしない。わたくし別にエーアイの悪口もあなたの悪口も言ってませんから、楽しくやりましょう?

AI Sadness: #3: Hustlers and Believers

エーアイの躍進にあわせ、エーアイ・ビリーバーになってしまった人がよく目につく。

一番目立つしわかりやすいのは、エーアイの可能性に賭けてそれまでの職を捨てスタートアップなどに言ってしまった人々。いいですよね。人生賭けてる。リスクとってる。がんばって歴史に名前を残してください。

会社はやめずに、今のしごとのなかでエーアイの旗振り役になってしまった人。けっこう困る。その人が本当の believer なのか、Resume-Driven Development (あるいは大企業バリエーション Promo-Driven Development) なのかの判断に苦しむケースがけっこうある。職場というのは市場経済よりはトップダウンの計画経済なのでこういう局所最適な行動が起こるのだけれど、エーアイのような未知数の多い分野に計画経済は弱く、市場に歪みを肌身に感じやすい。しんどい。

現代の生んだ市場であるアテンション・エコノミーでも、エーアイによる気候変動を目にする。自分にとって気になるのは、ソフトウェア開発のある分野の第一人者だったような人が突然エーアイ・ビリーバーになってしまうケース。こうした転身エーアイ・ビリーバーの発言は、本来の専門分野に関する発言に比べて、なんというか、軽い。あまり裏付けを感じられない。エーアイ分野で裏付けのある発言ができる人はすごく少ないので発言の軽さにも無理はないと思う一方、発言を信頼していた人間の言葉が信じられなくなるのは悲しいものです。

こうした第一人者・インフルエンサーが、エーアイ・ビリーバーに転身する判断はたぶん合理的なもので、そのビリーブしている気持ちにも多くの場合は嘘偽りはないだろうと思う。悪意・他意があるとは思わない。ただこれは、究極的にはサンクスギビングで顔を合わせた親戚が MAGA になっていたのも民主党を不甲斐なさのせいにするのと同じで、なんというか、個人を責める気持ちが無いとは言え悲しみはある。

AI Sadness #2: Not Yet Isn't An Option

エーアイ、発展途上なテクノロジなので目の前の問題を解く役に立たないことはよくあると思う。ここでいうエーアイは agentic coding 及び周辺のあれこれを想像してもらえば良い。

自分の場合は使えるモデルが特定ベンダー製に限られているので、世の中の最先端でできるとされていることができないケースも多い。とはいえそのベンダーのモデルだって、バージョンが一つか2つあがればキャッチアップするであろうことは想像に堅くない。また MCP 的なインフラもサードパーティの実装を自由に使えるわけではない。自分の環境にあったインフラを誰かが整理してくれなるまでモデルが本気を出せないという面もある。

だから「エーアイ試してみたけどもう一歩モデルの賢さ・インフラの整備が足りてませんね〜一年くらいたったらまた試しましょ〜」と言って「エーアイを使え」という圧力鍋から出ていきたい。けれど「ダメでした」といいにくい空気があるように思える。

「空気」なので明文化はされていないし気のせいかもしれない。もし気のせいだったら教えてほしい。気のせいということにして通常進行に戻ろうと自分に言い聞かせるが、気分は晴れない。

The value of computer at (early) education pt.2

先日小学校での Chromebook を腐したあとふと OLPC (One Laptop Per Child) Project のことを思い出した。20 年前に打ち上げられたが、その後不完全燃焼に終わった非営利団体による途上国教育現場向けの廉価ラップトップ開発・配布プロジェクトである。

2009 年の CACM に外野による批評が載っている。その後スマホのようなものが普及して情報の dissemination はある意味で達成されたわけだが、そもそも教育現場(特に初等教育)にコンピュータがあるのは望ましかったのか。

というか自分は良くないと思っているが、何が良くないのかを少し真面目に書いてみたい。真面目にといってもなにか客観的なデータに基づいてはおらず、親として観測した範囲の不満を書くという意味です。

観測した範囲でのコンピュータの活用は、主に教員の負荷軽減に使われているように見える。たとえば: 紙ベースでやると採点がだるい理解度テストを、機械採点可能なスクリーンでやる。理解の遅れている子供に追加の説明をしている間、理解が先にいっている子供に無害な暇つぶしを提供する。その延長で、そこかしこにスクリーンを使った「自習の時間」をはさむ教員もいる。

理解度テストは頻度が低いので、基本的にスクリーンは「自習コンテンツの提供」が目的である。これはあけすけに言うと「教員の手が塞がっている間に子供を黙らせておくコンテンツ」である。したがってコンテンツが教員の手間に繋がるのは望ましくない。結果としてコンテンツは “engaging” である。つまり、計算とかに飽きた子供は gamification の題目で用意された avator 着せ替えや mini games に時間を使う。言うまでもなく、計算など多くの子供は一瞬で「飽きる」。スクリーンによる「読書」も、字の苦手な子にはアニメーションと音読のついた「本」が用意されている。

しかし建前としてコンピュータは「アイティーリテラシー」のために用意されているので、表面的に「アイティーリテラシー」を獲得できそうな課題、たとえばスライド作成とか作文、にも使われてる。しかし子供たちがなにをするかというと、ポンチ絵用の GIF search を使った画像探しや、コメント機能を通じたチャットに明け暮れている。

自分の意見として、教員の負荷軽減のためにコンピュータを使うのはある程度なら構わないと思う。大変な仕事なので。ただ、その事実をリテラシーだのイノベーションだのという言葉で隠さないでほしい(イノベーションではあるけれど、生徒や教員のイノベーションじゃないですよね?)そして、教員・教室ごとのスクリーン利用時間を公開してほしい。

そうすれば、まずリテラシーを名目にした時間と労力の無駄がなくなる。

教員のスクリーン依存度: 現状でも自分の子供がどのくらいどのアプリを使ったかは知ることができるが、それは重要でない。教員がどのくらいスクリーンに頼っているかが重要である。この指標は、教室単位の集計、クラス全体での「スクリーンタイム」として提供されるべきである(分布もあるとなおよい)。サービス業者も、そうしたトラッキングおよび過剰利用の制限を前提としたシステムを用意してほしい。つまり子供ではなく教員の利用に透明性を求めたい。労組がめっちゃ反対しそうだな。


「そうはいってもタイピングとかリテラシーでしょ」という主張は、間違ってはいないが隠れ蓑に口実を与えている。コンピュータリテラシーを教えたいなら、そうした専用の授業でタイピング、編集などの基本的な操作リテラシーを教えれば良い。コンテンツもインターネットもいらない。

「インターネットもリテラシーでしょ」というかもしれないが、本もろくに読めないような子供たちがインターネットをまともにリテレートできるわけねーだろアホか!家でやるのは勝手にすればいいけど学校でやるこっちゃねーわ。


究極的にこれは「人間によるサービスが贅沢品になる」時代の象徴と見ることもできる。そして学校教育のコストは、子供を甘やかすの尊厳を重視するほど高くなる。しかし総体としての予算は変わらないか減少傾向なので、結果としてコストカットの手段としてコンピュータが使われる。カネがある家のご子息は人間サービスのある私立に子を送る。

はーあ。

先日ある Podcast で ML-based オンラインラーニングにアカデミック実践を丸投げし人間サービスをサポートと非アカデミック活動に全振りする Alpha School という私立小中学校が紹介されていた。こういうの少し前だと全然信じなかったけれど、現状の computer use のダメさをひっくり返すにはこのくらいの radical さが必要なのかもしれない。

小学校でパソコン使わせるのやめてほしい(今更)

三年生になった子、自己紹介を兼ねた “passion project” の発表を Google Slide (on Chromebook) でするので準備してねという宿題に取り組んでいる。が、タイピングもできず人差し指タイプで 5 words / min、テンプレートも使わずページ毎に色やフォントを指定し、しかしポンチ絵の GIF を探す方法、トランジションエフェクトの設定方法などはなぜか身につけており、意味のあるコンテンツの生成と distraction の比率が 1:100 くらい。なぜ宿題でこんな時間の無駄を強いてくるのだろう。無力感。

更に悪いことにはタイピング練習は学校で時間をとらず自習が前提。これは、掛け算九九の暗記も特に学校からの支援がないという事実と符合してはいるが、ねーわ。そして、三年生は作文を Google Docs で書かせるらしい。やめてくれ。

小学校でコンピュータの使い方を教えるマシな方法は存在するだろうが、それを正しく実施できる期待がない。これは、大企業を正しく規制する法律は理論上は作れるだろうが現実的に法案が通る希望が持てないのに似ている。この状況下での現実的な対処は「コンピュータの導入を阻止・最小化する」だった。が、その決断は既にダメな方に下ってしまった。コンピュータ企業の城下町であることも悪い方に機能している気がすれど、まあどこも大差なく碌でもないことでしょう。仕方ない。自衛のためにタイピングは早めに練習させたい。

最近は「エーアイを教育の現場に」みたいなことを言っている人々を散見する。しかし少なくとも初等教育に限って言えばゼロ AI 一択だと思いますね。そろばんや電卓と一緒みたいなことうぃう人もいるけど、一緒じゃねーよ!てか電卓もやめろ!手と頭で反復練習しろ!

“Silicon Valley で Waldorf” はもはやミームとすらいえる陳腐なディスりファクターになっている(1, 2, 3) が、気持ちがわかってしまう。でも公教育に頑張ってほしい左派なので、学校たのむ。まじで。

Aug 19, 2025 10:08

Zuckerberg Plans Another Overhaul of Meta’s A.I. Efforts - The New York Times

Some A.I. executives are expected to leave, the people said. Meta is also looking at downsizing the A.I. division overall — which could include eliminating roles or moving employees to other parts of the company — because it has grown to thousands of people in recent years, the people said.

エーアイ人材も負けてる陣営にいるとクビになってしまうフェーズ。

それにしてもエーアイクラウドソース企業だった Scale AI CEO がリサーチ部門のトップになるの、いくつか profile 的なのを読んだけど未だに目論見がよくわからない。髪の毛のもじゃもじゃぶりが [SBF](Sam Bankman-Fried - Wikipedia) に似てるせいで自分が無意識にネガティブバイアスされているのかもしれないが…